BGM嫌い
4月22日に出発してからのツアーから戻り、あとは東京の2回公演のみとなりました。
もう少しですから気を抜かないで元気に乗り切りたいと思います。
それにしても約2週間の旅、ちょっとした海外旅行にも行けてしまう日数です。スタッフのKさんから「お疲れさま」のメールがきていましたが、家に戻ると背の高さくらいまであった大きな観葉植物が枯れていて、ガッカリしたそうです。誰もいない留守中の鉢物は、どうしたらよいのでしょう。みんなの悩みです。
今日は、お蕎麦屋さんでの出来事。このごろは、ちょっとおしゃれな感じのレストランでBGMにJAZZをかけている所が多いです。このお蕎麦屋さんでもJAZZがかかっていました。窓の下にはせせらぎが見えて、新緑の木々に囲まれた、すばらしいロケーションです。鳥たちの餌台も手作りのものがあちこちに置かれています。窓から手の届きそうな小枝に「カバノキ科 ハシバミ」と名札までついていて、店主の趣味が感じられました。
しかし、BGMの音は小さめですがアップテンポの曲が続くので、ゆっくりお蕎麦を食べたいと思っても、落ち着かないのです。渓流の音に耳を澄ませたいのに、とイライラしました。気持ちの良い自然を楽しめる環境にBGMなど無くていいのに、と思いますが、多分雰囲気作りにBGMは欠かせないとでも思っているのでしょうね。
昔、KAKOさんは喫茶店でのインタビューや取材を引き受けませんでした。例えば、質問に答えようとして自分の考えごとに集中したくても、BGMがあるとそちらのほうが気になってしまうから、だと言っていました。音楽家だから、余計そうなるのかも知れませんが、その時に、よくフランスと日本を比較していました。・・・・・・日本は、何故あらゆる場所でBGMをかけるのだろうか。ParisのカフェにBGMは無い。だから人々の談笑の声は時にはひそやかになるし、うれしいことや素晴らしく楽しい時にはにぎやかになって声高にもなる。でも、決して周囲が眉をひそめるようなガサついた空気にはならない。何故かみんなが人生のひとこまを演じているかのように、見えたりもする。そして、その中に自分も居ることを思わせてくれる。・・・・・・