APOCALYPSE(アポカリプス)
「ピアノに向かう自分と、一人のダンサー、そんな情景が、ある時一瞬見えた。」
CD「APOCALYPSE」のライナーノートは、こんな書き出しで始まっています。
啓示のようなイメージが具現化され、KAKOさんが1989年に初演した「APOCALYPSE~黙示録~」の回想を少し書きたいと思います。
東京・南青山に「SPIRAL」のビルがオープンしてまもなく、そこのプロデューサーがホールの芸術監督に就任したばかりの天児牛大(あまがつ うしお/山海塾主宰)さんを紹介してくださいました。何人かの踊り手候補のビデオが届き、その時KAKOさんが選んだダンサーが、ISMAEL IVO(イズマエル イヴォ)さんでした。ブラジル/サンパウロ出身でベルリンを拠点に活躍する著名人だったのは後で知ったことです。
こうして「一人のダンサー(ISMAEL IVO)と 一台のピアノ(加古隆)」、演出に天児牛大というプロジェクトがスタートしたのでした。
初演は1989年に日本(東京・スパイラルホール)とウイーン。
1992年に再演。日本及びヨーロッパツアー:ドイツ(ベルリン、ミュンヘン、ケルン、シュツットガルト)、オーストリア(リンツ)、ドキュメンタ1992(ドイツ・カッセル)。
そして2006年にウイーン(Volkstheater)やドイツで再々演。
KAKOさんのパリ・デビュー35周年記念の2008年には東京・Bunkamuraシアターコクーンで再々演。
ホームページのフォトギャラリーに、一枚のステージ写真が掲載されています。
タイトルのAPOCALYPSEは、KAKOさんの音楽にイヴォさんが誘発されて1篇の詩人の言葉を教えたことから名付けています。
I am dying everyday,that is why I live.
CDでの訳文は、「私は、日毎、死ぬ。だからこそ、私は生きている」。
鍛錬され尽くした彫刻のような肉体美を見せるイヴォさんは、楽屋にはフルーツとミネラルウオーターくらいで、ツアーで大阪に行った際には「お好み焼き」がお気に入りだったのを想い出します。
音楽とダンスが(そしてもう一つの眼である演出家)が合体する迫真のステージは感動的でしたが、特にラストシーンについてKAKOさんが、「いつまで演奏出来るかなあ・・、彼もいつまで踊れるだろうか・・」と語った程、厳しく激しいものがあったようです。
各シーンの曲名は天児牛大さんがつけてくださり、そのままCDの曲名になっていますし、この中の1曲「エンプティートランス」は、KAKOさんのピアノソロ「PIANO」というCDに収録されています。自分自身のコンサートで弾いたこともありました。
静も動も含まれた「APOCALYPSE」の楽曲は、内省的になりがちな自粛モードの中で聴くにはピッタリではないかと、密かに感じています。
4月に亡くなったというISMAEL IVO(イズマエル イヴォ)さんの訃報が届き、66歳という年齢と最終的には新型コロナ感染だったことを知って愕然としながら、このアトリエ通信に綴ってみました。