筆の運び

閑(シズ)かな日

先月末に広島での公演のあと、名古屋に向かうため新幹線の駅に行き、お土産品のもみじ饅頭とともに、意外なものを見つけて購入しました。熊野筆です。
本当は専門店に行けたらよかったのですが、空港からホールへ、ホールからホテルへ、ホテルから駅へと移動に移動を重ねて一日が過ぎてゆく毎日では、残念ながら、その町の奥深さには触れる事ができにくいのです。

その時は、そこで買った小筆から一つのことを連想しました。

前回のブログに書いた映画のひとコマ。
主人公が、ある女性から託された一通の書状をたずさえて、豪商に会いに行きます。読み終えて、巻紙ですから元のようにたたみながら、ふと、その豪商がつぶやきました。
「この筆の運び・・・なつかしいなあ」と。

このシーンを見たときに、本当に久しぶりに筆跡という言葉を思い出しました。
パソコンで打った文章には文体はあるでしょう、しかし、筆の運びというようなおもむきは、到底ありません。

KAKOさんの口ぐせの一つで、「人間はコンピューターという便利なものを手に入れたけれど、きっと、それが遠因となって、いつの日か何か大切なものを失うと思う」と言っています。
それは予言者の言葉でもなんでもなく、こうして私たちは書く事を忘れて、打つだけになっているのかも知れない、とハッとしたのです。

毎朝、硯を清めて墨をすり何か書いてみる、と、イメージだけは出来ているのですが、
買ってきた小筆がいつになったら「文(ふみ)」に生かされるのか、今のところ自信がありません。
自分自身に叱咤激励しないといけないですね。

Posted by アトリエール