100年読み継がれた・・・
先日、都内の文具店に行きました。KAKOさんからの用事で、気に入っているノートの追加購入のためです。薄っぺらでB6サイズ。このサイズ、あまり普及していないようで、なかなか見つかりません。「メモ用」の棚なのに分厚い表紙がついたものや装丁も凝っているものが多く、今回のように薄いという注文が無ければ欲しいものは沢山あります。何軒か探して、ようやく希望に近いものを買いました。
最近の携帯族は、メモだって携帯電話に入れたりしますが、このノートをKAKOさんは傍において、いろいろな考え事のメモ用に使います。それに、電車の移動中なども鞄に入れたいそうで、かさばらない大きさ、厚さが必須だったようです。
「(使い心地は)いかがでしたか?」と尋ねましたら、そのことには直接触れず、「字を書いて考えをまとめる、というのは、やはりいいなあ。」と独り言のように言い出して、朝早いラジオで聞いた話が面白かった、と教えてくださいました。
柳田國男が発表した「遠野物語」が生まれて100周年目、どこかの館長らしき人がお話しをしていたそうです。かいつまんで言うと・・・、今も色あせず読み継がれているのは、この本にあえて挿絵を入れなかったことではないか。河童や天狗・・など妖怪の名前はあっても絵がついていないと、人々は想像をふくらませて読むことになる。・・・・
ここからは、KAKOさんの話の続きです。パソコンで打って出てきた文字や言葉は、いわば「映像=絵」のようなもの。それに対して、ノートにメモするという行為では、手で書いた文字や言葉を見つめてゆくうちに、いろいろとイメージが広がる。絵よりも文字のほうが想像力を掻き立てると感じていたら、同じようなことを言う人がいるなあ、と思ったそうです。
気になって調べてみましたら、NHK「ラジオあさいちばん」という番組の6月13日(日)で、遠野市立博物館の館長・荒田昌典さんのお話しでした。PCで再現して聞き直しました。突然「・・おっきな・・川が流れていたんだと・・・」と、語り部の女性の声が聞こえてきました。とっさに宮沢賢治を連想するほど、岩手県のイントネーション。100年も前に、遠野に住む佐々木喜善が語った119の民話。民俗学の見地だけではなく文学としても高く評価されましたが、柳田が説話集を出すにあたって、佐々木は「挿絵を入れないで作って欲しい」と手紙を送ったそうです。