音楽アワー

LA MUSIQUE

昨日は、金沢の石川県立音楽堂の地下にある交流ホールというところで、「池辺晋一郎の”音楽堂アワー”」があって、KAKOさんがゲストでした。この”音楽堂アワー”は超クラシック放談と銘打って、ゲストの音楽歴や人生などを池辺さんが聞き出しつつ、あらゆる方向に寄り道してゆくお話しの時間です。

開口一番に池辺さんがおっしゃったのは学生時代の話。「東京芸大の同じ池内友次郎(いけのうち ともじろう)門下の僕より2年後輩だから、そんなに年は離れていないのに、なぜか君の下宿先を決める時の保証人になったりしたんだよね。どうしてだったのかなー」「それはね、その時の不動産屋さんの隣が池辺さんのお家だったからですよ。池辺さんが保証人なら安心・・・ということで」

そういうやりとりのあとに、学生時代から現在の二人の仕事に至るまで、なぜか接点が途切れることなく来ている、とおっしゃっていました。いろいろな質問も出ました。「なぜ留学先はパリだったの?」「どうして、コンセルヴァトワールでついた先生はオリヴィエ・メシアンだったの?他にも先生はいたのに」「現代音楽の作曲を学びに行ったはずなのに、帰国してきた時はフリージャズのピアニストだったので、驚いた。それは、どうしてだったの?」「そのうちに、ソロピアニストとして活躍したけれど、そのきっかけは?」「ピアノの響きにもこだわりがあるんだね」「テレビのCMとかは、沢山やったの?」
などなど。

それに付随する池辺さんご自身の来歴も楽しかった。先生に留学を勧められたのに、「もう学生はやりたくない」と言って断った話。通学パスに赤いスタンプで「学」と押してあるところを隠すようにしてバスに乗っていたとか。それ程学生に見られるのが嫌だったそうです。一方は留学し、一方は日本に居ました。池辺さんは、メシアンの著書「わが音楽語法」が日本語訳(1954年)されたのを購入していて、その古い本を持参していらっしゃってました。その中から「旋法(せんぽう)」について書かれた箇所を紹介したり、一番感動したのはネ、と言って、お茶目な目(失礼!)を見開くようにして「自分自身の様々な作曲手法を体系化して一つの音楽理論書にした、言葉にしてまとめ上げたというところなんだよ」と。

ジャズもお好きだったそうです。CMの話の時は、「今はね、CMはお断りしているんだ。何故ってね、音楽の制作会社の担当者といろいろと打ち合わせしてこれがいいね、という段取りで録音スタジオに入り、レコーディングするでしょ。終わる頃になってスポンサーがやって来るんだよね。そして、コレちょっと映像と合わないよなあ・・とか言うの。すると、音楽の制作会社の担当者まで、そうですよね、とか言って急に豹変してそっちのほうに回ってしまうわけ。僕だけ取り残されちゃう」
よくあるんですよね、こういうケース。

最近はオペラを作曲中で、もともと演劇がお好きだったとかで楽しいそうです。「君も、オペラ書いたら?」「ウーン、声やことばは難しい・・・かな、僕には」

黒澤明の晩年の映画の音楽も担当されたので、当時の助監督のお名前が出てきました。小泉堯史さんです。映画のいろいろな現場でご一緒だったようですし、このお二人は水戸のご出身です。
池辺晋一郎さんは、大学教授、数々のホールの音楽(芸術)監督、映画や舞台の音楽、音楽賞の審査員などと、本当にお忙しく沢山のお仕事をこなしていらっしゃいますが、元気いっぱいの方でした。
ご自分の仕事の周りに、今回のように、昔の知り合いをちょっと引き出してくださったりして、不思議と接点が途切れないようになさっています。

最後の数分のこと。池辺さんいわく「ちょうどコンサートでニューヨークに来た時、僕も仕事で滞在していたんで、一緒にご飯食べたんだ。その時、”畳と温泉”が好きだ、って言ってたよ。」「えっ、そんなこと言ってた?覚えていないけれど、自然に普段思っていることが口から出ていたんだね」

約1時間15分、心がほっとする放談の時間でした。

Posted by アトリエール