兼松講堂にて

LA MUSIQUE

昨日は、一橋大学の学園祭に行ってきました。湯河原から東京駅を経由して、国立市まで。KAKOさんにとっても初めて降りた町です。
新幹線と、中央線の電車使用なので、日帰りで京都に行った方が近かったかも知れないと思うほど、結構遠かった・・・です。それに、大学祭と町のお祭りとが一緒になっていたため、駅から大学までの道には祭りの屋台がビッシリ軒を連ねており、その数は400ほどもあったかも知れません。5分で着くところが15分もかかってしまうという歩きの渋滞です。前の人混みを掻き分けて歩くわけにも行かず、ひたすら後ろにくっついて前進するしかないという状態でした。
そうでなければ、駅から大学までは、ゆっくりと秋風に吹かれながら散策する気分で行くつもりだったので、全くイメージ通りにいきませんでした。

ようやく大学に到着。赤いハッピ姿が実行委員会の生徒さん。hitotsubashisai ではなく、ikkyosaiなんですね。

兼松講堂という建物が、演奏する会場です。

関東大震災で神田の校舎が被災したあと、国立市に校舎が移転し、その1927年(昭和2年)8月に創建されたロマネスク様式の建物です。平成12年には国の登録有形文化財に選ばれたそうです。
2階の貴賓室に通されましたが、天井が高いうえに、昭和初期に使われた曇り硝子の照明でぼんやりと暗く、学園祭で賑わう外とは違って落ち着きました。窓からは樹齢の感じられる黄葉の木々が眺められて、kAKOさんは気に入っていました。

大学祭ならではの趣向で、プログラムは「演奏とお話」で約1時間強です。前半のお話は、幼少の頃から大学時代までの音楽との出会いのエピソード。後半は作曲家としてのお話。ベルギーの映画監督マリオン・ハンセルが、3ヶ月もかかってKAKOさんを見つけ出すまでの粘り強いストーリーは、現実にあったこととはいえ、やはり感動します。
まだインターネットが普及していなかった頃、一枚のFAXがKAKOさんの手元に届きました。「自分はベルギーで映画を作っているが、あなたに音楽を依頼したい」という内容のもので、しばらくFAXのやりとりをしていました。
いよいよ仕事が本格的になり、ベルギーで会うことになりました。そして、「何故、私の音楽を見つけたのか?」とKAKOさんはマリオンに聞いたそうです。
すると、「よくぞ聞いてくれた・・・それには斯く斯く然々」とマリオンは話し出したそうです。

彼女は撮影も終わり、どういう音楽が良いかと考えていた時、打ち合わせで来ていたパリからベルギーへ戻る際に、車の渋滞にさしかかってしまったのです。それで、何気なくラジオのスイッチをつけました。と、その時、ピアノの音楽が流れていたのです。彼女は、「こんな音楽を求めていたのだ」と直感しました。そこで、車を脇に止めて、音楽がかかっていた時刻だけをメモに書き留め、帰途につきます。そのあと、ラジオ局に日付、時刻を告げて問い合わせ、「Takashi KAKO」ということは分かったのですが、でもその時点では、まだ日本人の音楽家かどうかも分かりませんでした。しかし、偶然ニューヨークでCDを見つけ、そこにあった情報から、KAKOさんへの連絡先を探し出したのでした。そのCDはフランス発売されたもので、World Wide的な販売だったから、フランスのラジオ局でもかかりニューヨークにもあったということです。

この時一緒に組んだ映画はモントリオール世界映画祭のグランプリを受賞し、KAKOさんも最優秀芸術貢献賞なるものをいただいた「The Quarry ザ・クウォリー」でした。この曲のことは、小泉堯史監督と初めてお目にかかった際にも話題になったのを思い出します。チェロ8台でのメインテーマは、「アフリカの風と、何かから逃亡する男の孤独」にぴったりでした。

兼松講堂で、なつかしいエピソードを聞いた一日でした。ノスタルジックなシャンデリアとステージをカメラに収めて帰路につきました。

2013/11/03

Posted by アトリエール