いくたびか深い夜に

閑(シズ)かな日

12日あたりから仕事関係の方々は故郷に帰っているケースも多く、それならばと、こちらも少しだけ夏休みモードに切り替えています。今日は、3歳になったお子さま連れのお客様がいらっしゃいました。といっても音楽家の方なので、話題はどうしても共通の音楽のお話が多くなります。パリにも留学されていらしたので、KAKOさんとはパリ時代のセーヌ河に面した宿舎のこととか、その時の事務局のムッシュウとかマダムのこと、住んでいた地区の話やカフェや街の様子など、とりとめもなく楽しいおしゃべりが続きます。

お子さまは、というと、初めのうちは用意された椅子に腰掛けていましたが、いつの間にか近くにあった低いテーブルのほうに移動してドリル帳のようなものを開き、ひとりでお勉強しています。ようやく10くらいまでの数字が言えるようになったとか、読める文字も少し増えてきたそうです。昔は小学校に行ってから文字を教わっていたようなのどかな気がしますが、今は随分早い年齢から習い事がある様子です。

元首相の細川護煕さんの著作には、幼い頃兄弟して父親の前に座らされ、「論語」の素読をやらされた、というくだりがありました。凄いなあ・・。例えば漢字だらけの「學而時習之 不亦說乎」(学びて時にこれを習ふ、亦説ばしからずや)という書物を与えるというところに、厳しくも尊い親の像が浮かびますね。

お客様が帰られたあと、ふっと昔の教科書で習ったリルケの詩の出だしを思い出したのです。
「いくたびか深い夜に 風は子供のように目を覚まし 並木路を通り過ぎていった・・・」
ここまでも間違いがないかどうかあやしいのですが、この詩が好きでした。

なぜ、風は子供のように目を覚ますのだろう
なぜ、夜なのだろう

そんな疑問に、おそらく当時の国語の先生は教えてくださったのでしょう。
この詩の先の行は諳(そら)んじていないので、早速調べてみます、夏休みの宿題のような気持ちで。

Posted by アトリエール