一夜のこと

閑(シズ)かな日

「日暮れ時、通りかかった一軒の家の中に、明るい灯がともり、一家の楽しそうな生活が感じられるとしたら、それが建築家にとって、もっとも嬉しいときだ」──
八ヶ岳高原音楽堂の設計者である、建築家・吉村順三(1908~1997)の口癖だったそうです。「建築は詩」というのもこの人の残した名言です。シンプルさの中に品格のある建物を作った人。音楽堂は家庭ではありませんが、木々に囲まれ芝生の庭も広がっていて、窓から外の景色も窺える、一つの家のような建物です。

早朝から快晴の真っ青な空は夕方まで変らず、リハーサルをしている音楽堂の周りには、早くからお客様がちらほら散歩をしていらっしゃいます。何故なら、音のチェックもあるので、普段は窓も扉もあらゆるところを締め切ってしまうのですが、最近の暑さはここ八ヶ岳にも押し寄せてきているのでした。網戸つきの窓や扉を少し開いておかなければ、暑くって・・・。そのため、外にピアノの音が洩れていくのですね。スタッフの方が庭に出て、申し訳なさそうにお詫びしつつ、「リハーサル中なのでもう少し後からいらしてください」とお話ししています。

午後4時半に開場されて開演までの1時間は、ウェルカム・ドリンク。ロビーでワインや珈琲など手にして歓談するざわめきが始まります。甲斐大泉のほうでギャラリーをやっていらっしゃる木工家具作家の方と数年ぶりにお会いして、ご高齢なのにとってもお元気そうで、うれしかった。「先生!お久し振りです」と、若いお弟子さん風の男性に声を掛けられています。そうそう、直前にお誘いしたご夫妻が来てくださったのですが、奥様が松葉杖をついているので、ビックリ。デッキに屋根をつける工事をしているとは聞いていましたが、まさか屋根から落ちたのかと。このご夫妻は、ログハウスを自力で建てた逞しい方々。お聞きしたところ、何気ない足元に一瞬足をとられてゴキッっといったとか。慣れない松葉杖で懸命に歩いていますが、そんなことはお誘いした時には一言もおっしゃらないから知りませんでした。「工事の疲れをドライヴで気分転換して行こうかと思います」としか言ってなかったなあ。これも、うれしかったこと。

開演前のロビーで、思いもしない方にお会いすると興奮します。遠方から何時間もかけて来てくださった方がいたりしますからね。奈良や滋賀方面から、名古屋、津から、平塚や湯河原、・・・どういうルートで会場まで来たのでしょう。でも、それを開演前のKAKOさんには絶対内緒なんです。「○○さんが来ていますよ」「▲▲さんは犬の看病で来れなくなったんです」などなど、他にも禁句は沢山あります。ことに開演40分前は、ほとんど無言で過ごさなければなりません。この辺のことは主催者のスタッフも心得ていて、緊急以外は滅多に楽屋のドアの前に現れないです。

この日の異常な暑さはずーっとホールにも残っていて、演奏者も聴衆も汗だくでしたが、もしも窓の外から眺める者がいたら、きっとこの上なくあたたかい明かりがもれていたことでしょう。アンコールの「風のワルツ」が、演奏者から皆様へのお別れとお礼の挨拶のように思えたのは私だけでしょうか。
KAKOさんと番場かおりさんの「ピアノとヴィオラの夕べ」、八ヶ岳の一夜でした。

Posted by アトリエール