お別れ

閑(シズ)かな日

昨日仕事場の内線がなり、それはKAKOさんからの少し重たいような声でした。「野沢さんが亡くなった、Googleの1時間前のニュースに出ている」と言って切れました。野沢那智さんというと、ラジオでも長い間人気のパーソナリティを努めていらしたし、私はアラン・ドロンの吹き替えで知っていました。
KAKOさんはフランスから帰国後まもなく、野沢さん率いる劇団薔薇座に関わっていた方が引き合わせをしてくださって、お会いしています。初めの日のことは、笑い話みたいです。紹介者が「ムッシュウ カコが・・・、ムッシュウ カコは・・・」と連発するのと、パリで着ていたそのままの(たぶん日本男性には少ない)いでたちで、ひと言もしゃべらずに傍で立っていたせいか、野沢さんはKAKOさんをフランス人だと思っていたそうな。
「それでこの人、日本語は話せるんですか?」と聞いたので、後で3人で大笑いしたそうです。

そのあと、ミュージカルにのめり込んでいた野沢さんの、劇団薔薇座の音楽監督を随分手がけることになりました。今は女優としても活躍していらっしゃる戸田恵子さんの初舞台にも立ち会っています。

レコード会社のディレクターから、宮沢賢治の作品の朗読と音楽とでCDを作りたいというお話しがあり、朗読ならばということで、野沢さんにご相談しました。普通でしたら有名な「銀河鉄道の夜」とか「風の又三郎」などが思い浮かびます。ところが、野沢さんが選んだ宮沢賢治の作品は、短歌からはじまり詩、日記のようなものまで候補として挙がってきたのです。それらをコラージュのように織り込んで、音楽も言葉のイメージから発想して、1枚のアルバムに構成しました。それが「KENJI」です。このタイトルはちょっと不親切かも知れない。誰かの名前かとは思ってもそれが「宮沢賢治」だとすぐに分かる人は少ないでしょう。もちろん「銀河鉄道・・」も「風の・・・」も入っています。個人的には、CDのラストの「注文の多い料理店の序」が好きですけど。

「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほった風を食べ、桃色の朝の日光をのむことができます。・・・・・わたくしは、これらのちひさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとほったほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。」

CDだけではなく、ピアノと朗読とチェロという組み合わせでコンサートもやりました。朗読は、野沢さんも勿論のこと、花巻ご出身で地元でも賢治の作品を舞台化している方にもご出演いただき、そのステージがビデオに残るときは「賢治から聴こえる音楽」というタイトルにしたのです。

すばらしい文章を何度か寄せてくださいましたが、先程、CDのライナーノートを開いてみて、あっと声をあげそうになりました。その文の日付が今日と同じ日だったのです。追悼の気持ちをこめて書き写します。
「美しいものと、美しいものが出遇うことほど素晴らしいことはないと思います。
加古隆さんの音楽と、宮沢賢治氏の文章がひとつになったら、きっと素晴らしく心に響く瞬間が幾つも生み出せるだろうと云うのが、この仕事に関わった、僕のたった一つの動機でした。音楽は見事に成功していると思います。それは、美しさを支える──たとえば、苦悩とか厳しさとか──そうしたものがお二人の間で火花を散らしたからだと思います。宮沢賢治氏の全作品の中から、加古さんが音楽を生み出せる言葉を探すのが苦労でした。あとは、僕の介在が二人の仕事を邪魔していなければ、とそれを祈るだけです。
一九八八年十月三十一日、 野沢那智」

野沢さん、この後のコンサートツアーで、賢治の「永訣の朝」やりますから、天国で聴いてくださいね。

Posted by アトリエール