藤(ふじ)

タイムスリップ

本屋に立ち寄って目当ての本がない時、仕方が無いけれど、同じ作者の他の本を買うことがあります。新幹線の駅の本屋だと、かさばらない文庫本に手がのびます。幸田文(あや)という人の「木」という随筆を買ってきました。これも目的外の、知らない書名でした。明治の文学者・幸田露伴の次女だった人。木との関わりについて書かれた中に、「藤」と題された文章があり、そこに、父・露伴も登場してきます。まず、文のはじまりがこの本の中身を象徴しているかのようです。
「どういう切掛けから、草木に心をよせるようになったのか、ときかれた。心をよせるなど、そんなしっかりしたことではない。・・・・(中略)一つは、環境だった。住んでいた土地に、いくらか草木があったこと。」と書き出され、理由の二つ目は、親が仕向けてくれて、三つ目は嫉妬、だという。露伴は、3人の子みんなに木を与えた。蜜柑も3本、柿も3本、桜も椿も3本づつ、という具合に、花の木実の木と配慮して関心を持たせようと。そして、木の葉のあてっこをさせるのだが、姉は得意で枯れ葉になったものでも言い当てるのに、自分はかなわない。父はそういう姉をよろこび連れ立って歩き、自分は後ろから淋しくついて行く。嫉妬の対象だった姉は早世し、出来の悪い自分にも父は花の話や木の話をしてくれる。

あるとき、父と一緒に池のある園へ藤棚を見に行く。その池に「・・花は水にふれんばかりに・・・咲いていた。・・すでに下り坂になっている盛りだろうか。しきりに花が落ちた。ぽとぽとと音をたてて落ちるのである。」そこに明るい陽射しが入って、花は水明かりをうけ、沢山の虻も夢中なように飛び交い、あたりには誰も居ない。陽と花と虻と水だけのこの上なく美しい光景に見とれてしまう。

その時より10数年も前の、同じような場面を書いた父・露伴の随筆を書き添えてあります。私はその文にしびれてしまったのでした。「この花の秋に咲くものならぬこそ幸なれ・・・虻の声は天地の活気を語り・・・この花をみれば我が心は天にもつかず地にもつかぬ空に漂いて、ものを思うにもなく思わぬにもなき境に遊ぶなり・・」

それでまたお茶の時間、「露伴の文語体が素敵だった」と、つい誰に言うともなく口走ってしまったのです。するとKAKOさん、「概して男性のほうがロマンを持っている」と言い、さらに続けて「世の中、筋を追いかけるような語り物だけではつまらない、目には見えないもの、行間ににおい(香り)のある文章、そういう文体は少なくなっているのではないか」と。メモをしたわけではないので正確ではないかも知れませんが、短いTeaTimeで思ったままを言い放ち、さっと仕事場に戻っていきました。

Posted by アトリエール