未来におくる

タイムスリップ

昨日、滋賀県の安土町「文芸セミナリヨ」に行ってきました。先週の「八ヶ岳高原音楽堂」に続いての「ピアノとヴィオラ」のコンサート。新幹線の米原駅に出迎えてくださったホール事務局・Sさんの車で、琵琶湖方面に向かいます。「距離的には少し遠回りですが信号機の少ない道を行きます。」とおっしゃったせいか、街中を出るとすぐに広々とした田園風景になりました。琵琶湖の傍を通るときには、淡水魚の泳ぎを利用した漁のための柵のことも説明してくださり、写真ではよく見るステキな光景も意味が分かったものです。また、現在の車道の所まで湖があったのですよ、とも話してくださいました。昭和40年頃に湖の水を抜いて田畑にし、農作奨励をしたのだそうです。今も、稲や大豆の畑が広がっています。KAKOさんは中学生くらいの頃にその辺りに来たことがあって、湖だったことをかすかに憶えているようでした。

「セミナリヨ」のこともお聞きしました。ポルトガル語で、織田信長の時代にイエズス会の宣教師たちによって作られた神学校のことだそうです。信長は仏教僧達を心よく思っていなかったこともあり、対抗手段としてキリスト教を保護していたのです。まず最初に建設されたのが安土のセミナリヨ(1580年完成)です。キリスト教を広める為の神学校であり、同時に西洋の文化を伝える窓口でもあったのです。しかし、信長死後の禁教令で弾圧や迫害があり歴史から消えていきました。今から400年余前のことです。
ホールの近くの安土城跡は、車を降りて石垣を見ただけ。リハーサル時刻が迫っていたので、あまりゆっくり出来ません。手触りが残っているような自然な組み方。「この石組み職人は、”あのうしゅう”と言われています」とSさんがおっしゃるので、どういう字を書くのですか?と聞きましたら、「穴に太い、です」と。
それで調べてみました。その石垣職人集団は「穴太衆(あのうしゅう)」といわれ、滋賀県内の古墳築造などを行っていた石工の末裔でした。寺院の石工を任されていたのが高い技術を買われて、安土城の石垣を施工した、のだそうです。ここの石垣を積んだ職人たちの築城技術は、その後の安土桃山時代から江戸時代初期にかけて日本中に作られていった城の模範となったのだそうです。

そして「文芸セミナリヨ」に着きました。ホール内部に入ると、赤いパイプオルガンが目に入り、客席数は400弱ですが、ステージは普通なら800席のホールに匹敵するほど横に広く、天井も高くとても素敵です。

1曲目に演奏した「森と人の約束」は、琵琶湖の里山がテーマですからぴったりの曲でした。NHKの里山シリーズ第3弾のテーマ曲。余談ですが最近になって、このDVDを欲しいけれど検索にひっかからない、という人々が多いのですが、「映像詩 里山 劇場版」がいいようです。劇場版となっているから分かりにくい。

終演後、来た道をタクシーで進んでいるときに、背後に秋の空と夕日が見えて、琵琶湖にも映っていましたので携帯で撮ってみました。”里山 未来におくる美しい自然”という今森光彦さんの写真展のタイトルを思い出したり、そういえば今森さんのことはNHKの番組よりも前に、KAKOさんファン暦20年という人から教わったなあ、とか、「近江八幡安土」という名前に統合されるらしいけれどいかがなものか、などと心の中で勝手に思っているうちに駅に着きました。残したい自然の風景、歴史と文化のさまざまな記憶を感じさせてくれる安土の一日でした。

Posted by アトリエール