現代歌人抄
昨日は「明治の歌人たち」でしたが、今日は「現代の歌人」のお一人について書きたいです。
時々、KAKOさんを全く知らない人から、作曲って、歌謡曲ですか?と聞かれたことがありました。
違うんです、えーっと、クラシカルな・・・オリジナルの・・・要するに、歌詞に曲をつける作曲家ではなく・・・
KAKOさんが歌詞に曲をつけるという仕事を引き受けたのは、一つだけあります。
宮城県気仙沼高等学校の校歌です。
それまでは、詩が先にあってそこに曲をつけるという仕事を避けてきました。はっきりとした理由を聞いていませんが、端的に言って苦手なのでは?と思っています。(もっと深い意味もありそうですから、きちんと聞いておかなくては・・・)
詩、言葉といいますと、宮沢賢治の作品が元になった「賢治から聴こえる音楽」という作曲をしていますね。1988年のことです。
でもこれは、詩や短歌、童話などの朗読と音楽のコラボレーションのような作曲作品です。歌う人がいるわけではありませんでした。
「大河の一滴」は映画のテーマ曲が先で、それに五木寛之さんが詩をつけて・・・、という前後関係で出来上がっています。
それで校歌を手掛けることになったのは、その時の作詞が気仙沼在住の熊谷龍子さんという歌人で、コンサートを通じて存じ上げていたからでした。
気仙沼では、20年以上前から、海で生活する漁師の呼びかけにこたえ、山に住む人々も協力して、広葉樹を植える「植樹祭」を毎年続けていました。しかしなぜ、漁師が山に木を植えようと考えたのでしょうか?それには、ちょっと長ーい説明も必要ですので割愛しますが、とにかくその、「豊かな海のために森に木を植える運動」を始めた主宰者が、活動を象徴するキャッチフレーズを熊谷龍子さんに依頼するのです。そして生まれたのが、
『森は海を海は森を恋いながら
悠久よりの愛紡ぎゆく』
という一首でした。
そこから、『森は海の恋人』という素敵なキャッチフレーズが彼女の口からこぼれ出ます。
何と、心に深く響く言葉でしょうか。
時折献呈本が届きます。
「森は海の恋人」や「柞(ははそ)の森」にも、KAKOさんのピアノに触れた短歌を見つけることができますよ。
昨年の大震災での、この方の無事を確認できるまでの長かった日々のことが、思い出されます。
とにかく100年も前に、祖父・熊谷武雄(歌人)が植えた広葉樹の森に、今も棲み続けて歌を詠む人。